チラシの挟み込みをやって改めて思う

2012.07.20.Fri.13:29
昨日、チラシの挟み込みに行って改めてお芝居などのイベントの多さに驚愕。
作業開始の18時を目指して、重たそうなチラシの束を抱えた人が次から次へと現れ、挟み込むチラシの列がどんどん長くなっていきます。


不景気で劇場に足を運ぶ人が減ったと言われている昨今、むしろ公演の数は増えているような気すらします。
又聞きのような話ですが、1000人以上動員出来る劇団あるいはプロジェクトなど、ほとんど数える程といいます。つまりは、みなさん、赤字か、せいぜいトントンで、公演に向けてひと月前後の長きにわたり、バイトを全て休んで打ち込んでいるわけです。

僕はそういうお芝居を月に一本か二本見に行く位の人間ですが、「金を払ってわざわざ時間を作って観に来てよかったな」と思える公演はさほど多くはありません。
かくして、動員数は上向く気配無し。


一方、僕が芝居をしていた頃と違い、劇団間の交流はとても密になっていますので、お互いに客演したりされたり、そこで知り合ったら、一応は見にいっとかんと来てもらわれへんし、というような、舞台成果とはちょっと別のところでの動員増というのもまたありそうにも見えます。その実数はちょっと算出しにくいですけれども。
それにこの動員増分は、関西の劇場文化が成熟することとはほぼ無関係の事です。


お芝居に携わっている人達が、そんな苦労を10年ほどもして、30を過ぎる頃になると、色々と考えなければならないことが出てきます。
ちゃんと就職せな、とか、結婚せな、とか、子供つくらな、とか、子供ができちゃった、とか、親が弱ってきて、とか、逆に親がうるさくなってきて、とか色々。
それまでに、何とか役者として、劇団として、しっかりしたものを作れるようになる必要があるのでしょうけれども、この世界を少し離れた所から見る人間からすると、全体的に、そういう厳しさは薄いように見えます。


まあ、自分も若い頃は甘い考えでやっていたので、気分は何となくわかります。
公演を打つ事によって、達成感を得て、集団心理も手伝って、現状に安心してしまうのです。そこで、自分がそれで食えるようになるのか、その為には何が足りないのか、何に時間を費やす必要があるのか、などを見なくなってしまいます。

けれども、劇団を育て、役者を育て、観客をも育て、関西の劇場文化を育てて行く為には、何かが足りないのではないかな、と思わざるを得ません。それは決して横の連帯とか、行政の補助とかではなく、むしろ一人一人の内側にある物です。


そんな私が今日見にいくのは、俺がチラシを挟み込んだ、「目頭を押さえた」。これとて、知り合いが演出していたり、そんな関係で知り合いになった役者とか作家とか、そういう関係です。
コメント
コメントありがとう
おつきあいも完全に否定はしないけれど、ツイッターとかでの絶賛の嵐は気持ち悪いよね。少なくとも、面白くないものは面白くないと言い合える間柄でいたい。
難しいけどね。
納得
ほんまにそうやと思います。
芝居は観に行きたいものを行くべきです。
結局、付き合いの為だけでさほど興味がない芝居は自分の感性を腐らせますよね!
おつきあいも
大切だよね。人は一人で生きているわけではないし。
出来ることは、「一体これの何があかんのやろ」と反面教師にする事くらいかもしれませんね。
一応は
見にいっとかんと、のくだり、すごく考えさせられます。演劇でもライブでもどこぞの講演会やセミナーでも、来て10分で「帰りたい・・」と思うときがあります。こういうのってどう折り合いつけたらいいんでしょうか・・

管理者のみに表示