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139番 国吉城

本日目指すは139番、佐柿国吉城。地元では、若狭国吉城あるいは単に国吉城と呼ぶようだ。
ここは鎌刃城のように迷う事はない。麓にある歴史資料館を目指せばいいだけだ。そこから城への道は寝ててもわかる仕組み。

201006国吉城碑

まずは歴史資料館で情報を仕入れて、スタンプを押して、

201005国吉城スタンプ

熊鈴をお借りして、スタートだ。

道はよく整備されている。とはいえ、勾配はまあまあ急だ。時間はあるので、ゆっくりと登る。急な所は二十歩進んだら息が落ち着くまで休む。むっちゃ急な所は、十歩で休む。
むっちゃ急な所は少ししかなかったけど。

資料館から本丸まで26分。普通の人なら20分、健脚なら俺の半分かな。

標高は、197メートル。所々に、礎石や、石垣の崩れた跡、土塁、堀切などが見られる。まあまあ難攻不落っぽいかな。
戦国中期から江戸初期にかけてのお城らしい。
金ヶ崎の戦いの前に、信長が三日ほど泊まったんだそうな。撤退戦でも、信長の役に立ったのかもやな。

山上に吹く風は冷たい。昨夜は冷え込んだしなあ。

201006国吉城天守

これは、大正時代に建てられた石碑なんやて。お城はいつだってどこでだって、街のシンボルだよね。
木々の向こうに青く広がるのは、日本海だぜ。

秋山や 百三十九番は 佐柿国吉城

高木東六先生か、俺は。って、これがわかるひとは俺と同世代かそれ以上の人やな。

鎌刃城

今日も今日とて城巡り。鎌刃城という山城を目指す。
米原ジャンクションの近くの林道を登って行くらしいので、とにかくそこを目指す。すると、道には扉が。

201004ゲート

あらー、通れなくなってるのか。これで一旦あきらめかけたが、扉の近くまで行くと、
「獣害のため閉めてます。開けたらまた閉めておいてください」
みたいなことがかいてあり、鎖をはずして留め具を外せば難なく扉はあいた。そこへ、同業者らしき京都ナンバーの軽自動車が行き過ぎて、戻ってきてこっちを見ている。
状況を説明して車を扉の中に入れ、扉を閉める。

ここからの山道がもうね。でこぼこで底こするわ、大きな岩で底こするわ、倒木やら岩やらをどけに車おりなあかんし、倒木で横こすったりもしつつ、狭い狭い道をとにかくのぼる。片側は崖なので、まじで命がけ。
後ろの車がついて来てるかを確認しつつ、しばらく登る。いきなり舗装道路に出ると、すぐ峠。

峠付近で車を降りて、山道を歩くことになるのだが、こんな罰ゲームみたいな道を通らなくても、舗装道路でここまで来れるということなのだ。

帰りも同じ道戻るのいややなー、と思っていたので、ほっとする。



万が一、このブログを参考に、鎌刃城を目指そうという人の為にちょっと詳しく書きます。

旧中山道を番場宿から南に行って、宿場町を超えて高速と並走するようになったあたりの左側に、高速をくぐるこの扉があります。
開けて通ることはできるけど、こっちは罰ゲームルート。
ジャンクションのすぐ東の道をずーっと南に向かって、アイリスオーヤマを左にみながら、正面のY字路を右に行った林道が、完全舗装で峠まで行けるルートです。
落石はゴロゴロしてたけど。


で、鎌刃城。峠道をいきなり下る。城へのアプローチでいきなり下りというのは珍しい。もちろん、下から歩いて登ることはできるんだけれど。
それから登ったり下ったり、12分ほどで、お城に到着。健脚の人なら10分かからないな。
ここが本丸前。

201004本丸前

どの山城にも言えることだが、昔はこんなに木が生い茂ってなくて、眺めが良かったんだろうと思う。敵の進攻を目認するのも大事だもんね。

本丸跡で、先ほどの京都ナンバーの松田さんというおじいさんと歓談。きっと、「続百」だろうと思って、聞いてみるが、どうやら違うようだ。でも山城中心に百以上登ってるって。滋賀県の山城は50ほどは行ってるのではないか、とのこと。
スタンプにつられて山に登るような奴とは違う、ほんまもんでした。おみそれしました。

そこで一枚お願いしてみた。

201004わたくし

なかなか立派な石組みが残っている。

おじいさんは、軽々とした足取りで、とんとんと北の尾根道を下って行く。北の廓にもいくつか見所があったようなのだが、自分は、主郭と副廓でまあ満足。このへんがスタンプ目当てのにわかって事かな。
それでも、

201004堀切

お、これは堀切だな、ってすぐにわかるくらいにはなったのよ。

201004鎌刃城

秋山や 百五十六番は 鎌刃城

もうええって。

秋山や 四十九番は 小谷城

49小谷城

バスに揺られること5分。それから結構急な山道を登ると、遺跡が現れる。最初は、番所跡やて。ちょっと曲輪が広がってるだけで、知らなければわからない。少し登ると、ようやく、石で囲った池やら石垣やらが現れて、ああ城跡だったんだな、って気がしてくる。建物は一切残っていない。秀吉が長浜城に移る時にこわしたのかな?小谷城が落ちた時は焼かれたわけではないらしいので。

眼前には虎御前山。信長の陣がどんどん築かれて行くのを、浅井父子はどんな気持ちで眺めていたんだろうな。織田につくか、朝倉につくか、そら悩んだことでしょう。失敗したなーって思ってたかな。
で最後は頭蓋骨の盃やもんな。戦国時代こわいわ。

ガイドさんの案内は本丸まで。まだまだ上にいろいろあるようなのだが、帰りのバスに間に合わないので、ここまでにする。
今から思えば、なんでこんな不便なところに住むんだろうな、って思うけど、ちょっと油断したらすぐに殺されてしまうこの時代、便利さよりは安全の方が優先したんだろう。


山から降りてもまだ午前中。よし、次行けるぞ、と向かったのは、滋賀と福井の県境にある、「玄蕃尾城」。
賤ヶ岳の合戦の時の、柴田勝家の本陣だというこのお城。そこへ行くには、こんなトンネルを通らなければならない。

2010柳ヶ瀬トンネル

知る人ぞ知る、柳ヶ瀬トンネル。
下半分石垣やし。調べると、百数十年前に鉄道用に作られたトンネルらしい。お城と同じくらいすごいわこれ。

柳ヶ瀬トンネルを西に抜けたらすぐに右に折れて、二キロ走れば駐車場。駐車場といっても道の突き当たりが少し広くなってるだけ。
そこからは徒歩で20分ほど、前半は結構きつい登り。後半は尾根に出て平坦な道なき道を行くと、遠くに木の看板が見えて、そこにお城の復元図みたいのがある。そのすぐ先が虎口。
ここも、建造物は一切残っていない。ただただ土塁と土橋と空堀らしきものが入り組んでいる。写真だとなかなかわかりにくいんだが、これは少しわかりやすいかも。

201003げんばおじょう土塁

二重に土塁が築かれている。間は空堀。だいたい、こんな景色が広がっていて、

201003げんばおじょうポール

曲輪ごとに、こんな標識が立っているだけ。ちなみにこれは天守台らしい。
城跡といってもほんとに様々。百名城とか続百名城とか、ひとのつくったものに踊らされるのはどうとか生意気な事を言ってましたが、ここなどは、確実に、こんなことでもなければ行かなかった場所。

良い経験させてもらってます。

140玄蕃尾城

秋山や 百四十番は 玄蕃尾城

あかん。
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