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年男です!

新年明けましておめでとうございます。

最近更新が滞っておりました。


一昨年の暮れに43インチのテレビと4Kチューナーレコーダーを買って、去年は人生で一番テレビを観た年になった。

2022元旦


こんな感じで、録画した番組を観まくった。昨夜観たのは、「近藤さんのよせ書き」。
太平洋戦争後に、アメリカ兵がフィリピンのルソン島から持ち帰った日本兵の遺品、近藤さんという人への寄せ書き。
この寄せ書きが、中島飛行機武蔵製作所の製図係の人たちの手によるものなので、絵心たっぷりの力作ぞろい。しかも保存状態が素晴らしい。
70年以上経って、本人に返そうという事になったという、なんとも壮大なお話。

NHKがその持てる取材力を駆使して近藤さん特定に奔走。当時中島飛行機で働いていた人のほとんどは死んでいて、わずかに生きている人も、100歳近く。
あと10年早ければなあ、と思ったりもするのだが、さてその結末は!?
もうね、紅白なんて観てる場合やない。

こんな番組の色々が人生の糧になっていれば良いのだが。

去年を総括すると、
ほとんど仕事もなく、四月に痛風、十一月に左手首骨折となかなか厳しい年だったが、さほど落ち込む事もなく、つつましく生きております。
キャンプとかドローンとかを始めたな。キャンプはもう飽き気味、ドローンは日々強まる規制にちょっと閉口気味。
でも、なんという事もない。
かなり、悟りに近い境地に達しているのかもしれない。



さて。
今年は年男、つまりは還暦。
二年前に断念した九州旅行、今年敢行出来れば還暦記念旅行という事になる。これ出来たらもう思い残す事はない、と言いたいところだが、コロナはまだまだ予断を許さない。

とにかく、なるべくポジティブに生きて行きたいと思います。
本年もよろしくお願いします。

だらだらと思いつきのように続く異常事態宣言

菅総理の話は聞くに堪えない。一切質問には答えず、言い訳に終止。で、再質問は禁止ってつまり質問に答える気がないって事やん。
国家の危機にいただくトップとしては最悪。
こういう人がトップに立てる仕組みから変えなければ日本は終わり。

さて。

政府観光局の統計によると、今年の1-3月の三ヶ月の間に66200人の外国人が日本に入国している。
入国後の隔離などもかなりずさんな状況と聞く(これは又聞き、ソース無しですが)。
イギリス変異株が問題になり、インド変異株も更に厄介らしいというこの状況で、何故外国からの流入を止めないのか。島国の利点を生かさないのは何故なのか。
これ止めれば状況はここまでひどくなっていなかった可能性は高いのではないか。


政府には、「これだけのこういう人たちが入国しました。入国後は厳重な監視態勢をとらず野放しにしました。」という事をハッキリ我々に伝える義務があるんとちゃうかな。
そして、そういう人たちの入国を止めるのではなく、我々国民の行動を制限し続ける方を選ぶ理由をしっかりと国民に説明する義務がある。
話はそこからだ。

マスコミもなんでそこ報じないのかな。

もう一つ。
欧米からみて二桁ほど少ない感染者で医療が崩壊してしまう現実をどう考えているのか。その問題に対して、この一年余りの間に何も改善する手立てができなかったのは何故なのか。
ここもちゃんと教えてね。
この二つに納得出来たら、オリンピックのことは目をつぶってやってもいい。

昭和48年放送、「新日本紀行 いまを訪ねて」幸福町

NHKは面白いなあ。
まあいろいろと問題もあるんやけれど、この手の番組とか、世界のドキュメンタリーとか、もう目が離せないよ。


今回は、大分前に廃線になった広尾線の幸福駅が舞台。

それほど昔ではない。俺も既に小学校の高学年の頃だ。ここにでてくるお孫さんは、おれより少し若いわけだよな。

愛国から幸福への切符がブームになるきっかけらしい。
そんなブームあったあった。「愛の国から幸福へ」とかいう唄もあったような気がする。

この時代の番組は、良くも悪くも不親切だな。今なら絶対コメントをダブってるとことかもスルー。口が合って無くたってそんなこと誰も気にしやしない。
今なら、「3フレあげて」とかそんなことに血道をあげるけれど、もしかしたらそれほど大切な事では無いのかも知れないと思ったりもする。
俺はこっちの方が好きやけど、やっぱり分からんこともある。でもさ、分からんこともあって当たり前なんだよな。
不親切と言えば不親切やけど、逆に、みんなは親切を求めすぎてる感じもするよな。やってもらって当たり前、それが俺らの権利じゃん、みたいな感じがある。

個人的には好きじゃ無い。

最近もそんなんあったじゃん。
自分は障害者なんだからやってもらって当たり前、とか、そういうのはなんか間違ってると思うんだな。
ま、彼女は「活動家」みたいなんで、あれが仕事なんでしょう。でもあれで障害者の環境が良くなるとはあんまり思わないな。むしろ分断を深めているように思う。
あんまり良いやり方では無いような気はする。

まあいいや。

幸福町の話でした。

今でも観光資源としてなんとかやってるみたいなのは悪くは無い。
今は25戸やて。冬は厳しいけど、農地は広い。農業には可能性がある。
いやでもこれからは農業かもやな。大規模でなくても、手間をかけてより良いモノを、ってのは時代に合ってる感じもするなあ。まあ大変なんやろけどさ。

NHKスペシャル。「家族が最後を決めるとき」

脳死移植と言えば兄を思い出す。この番組のダイゴくん9歳、かたや脳死になった時兄は50歳。状況は全然違う。

兄が脳死状態になったのが11年位前。
本人の同意がなくても、家族の同意で臓器移植が出来るっていう法律ができて間もなくて、このまま脳死移植と言うことになれば、日本で4例目か5例目くらいで、もしかしたらニュースになるかも、くらいの頃だった。
そもそも自分は父が何で死んだのかも、兄がなんで脳死状態になったのかもよく知らない。医学音痴。
医学音痴というだけでなく、両親は、自分に余計な負担をかけさせまいと思ったんだと思うけど、親の仕事の事も健康の事も、ほとんど知らさずに過ごしてきた。
それはそれで安楽で有り難かったのかも、とは思うけれど、今思うと、知っておきたかったと思わないでもない。
でもそれはいいや。

新しい法律が出来たすぐあとに兄がそんな状態になって、親族が呼ばれる。親族は俺と母だけだ。でも、もう一人、内縁の妻的な人がいて、その人と三人で医者の話を聞いた。
自分も母も、誰かの役に立つのならどうぞ、っていう感覚。
個人的には、ひとさまに迷惑をかけ続けた人生、最後くらいひとさまのお役に立てれば、それは素晴らしい事なんではないか、と思った。多少は償えよ、くらいな感覚。
でもその内縁の妻的な人が、というのも同居はしてなかったみたいなんで。実際よく知らないねん。
ともかく、その人がなんか反対して、母としては彼女の思いを汲みたい、ってことで結局臓器はだれのお役にもたてずに終わりました。

9歳の子供の話とは全然違うよな。
自分には、なんか湿った要素はゼロでした。ま、色々あるわな。

政治家はビジョンと覚悟を持て、っちゅうはなしです。

菅総理。
「今後陽性者が増えてきたら、また非常事態宣言を出すこともあるのでしょうか」
という質問に対して、
「ですからそうならないように云々」
と極めて政治家らしい答弁
「仮定の質問には・・・」とかで批判されて、ちょっと言い方を変えてみたんだよね。
でもさ、
「あります。」
でええやん。「みんなでそうならないようにしましょう。」と何故言えないんだろう。
個人的な考えだが、はぐらかす政治家的答弁が身につきすぎてしまってるんだろうなあ、と。
想像ですが。
覚悟とビジョンがある人が政治家になって欲しいと常々思います。

本日のお買い物二点

200924買い物

本日のお買い物二点。

その一。
60鍵キーボード用のソフトケース。来年の「月の光プロジェクト」用。先日お忍びで琵琶湖行って、試しにちょっと録画してみたりしたところ、機材を一回で運べる必要があることに気づかされた。セッティングに車を二往復というのは機動力的にも防犯上も避けなければならない。
これに、Duopiano、カメラスタンド、カメラ、椅子、天板、照明二基、コード類など、キーボードスタンド以外のものを全部入れる。こんだけね。

200924荷物

右肩にこのケース、左手にキーボードスタンドで車を二往復しないですむわけだな。3000円弱。
本当は照明専用のスタンドも欲しいところなのだが、そうなると一回で機材を運ぶのがかなり厳しくなる。

キーボードスタンドに手元灯りとして一つ、カメラスタンドにエリア全体をカバーするような灯り一つ取り付ける。どちらもクリップ式だ。
これで行こうと思ったのだが、諦める前に、ちょいと検索。なんと、スタンド付お手軽LEDリングライトってのが沢山ヒットした。



なるほどね、個人が映像を配信する時代なんだなあと再認識。これならソフトケースに入る。こんなのを一つプラスしてもいいかも。



もう一つが、「日本100名城に行こう」という本。
世はお城ブームらしい。天邪鬼な自分としてはブームというのがちょっと気に入らないが、仕方が無い。たまにはブームに乗る事で、今まで見えなかったものが見えて来たりする事もあるかもやしな。

元々、モノを集めたりするのも余り好きではないので、こういう事に食指が動かなかったんだけど、なんだろな。こないだサンティアゴ・デ・コンポステラへの1500kmの巡礼の番組とか見て、「ああこれは無理でもお遍路さんくらいなら出来るかな」なんて思ったのを思い出す。
ホンマに天邪鬼なんで、そもそも他人様が設定した目標をなぞるってこと自体に抵抗が無いわけでは無い。でもね、もうすぐ還暦やし、もっと丸くなろうぜ、俺。


以下が日本百名城だそうです。

https://www.100finecastles.com/castles-list/

ほとんどが室町時代以降のお城なんだけど、そうでないのもある。
根室半島のチャシとか凄いよな。これお城かよ。吉野ヶ里とかも凄い。

まずはこの百城の中で、今まで行った事のあるお城を数えてみる。

2五稜郭、6盛岡城、12会津若松城、 21江戸城?、28小諸城、39岐阜城、43犬山城、47伊賀上野城?、 50彦根城、53二条城、54大阪城、57篠山城、58明石城、 59姫路城、60赤穂城、61高取城、64松江城、70岡山城、71福山城?、74岩国城?、76徳島城、81松山城?、100首里城

多く見積もってこれだけ、24か。「?」印は行ったかどうか微妙なお城や近くから眺めただけっぽいお城。江戸城はどこまで行けば行ったことになるのか。外苑なら数え切れない程行っているが、乾通りの通り抜けは行った事ない。二の丸庭園は行ったかどうか記憶にない。

実はこないだちょこっと松江に行って、国宝松江城の天守閣に登ってきたんよね。

200924のどぐろ丼

あ、まちごた。こっちね。

200924松江城

これで、現存十二天守のうち彦根城、姫路城、犬山城、松山城に続いて、五つ目の天守に登った事になる。いや、松山城は登ってないか。お堀端から見上げただけか。
更に国宝五天守に限ると、なんと四つ目のご登城。残すは松本城のみか。

といっても、スタンプラリーには一切参加していないので、スタンプラリーやるなら一からという事になる。
公益法人日本城郭協会(そんなものがあったのか!)のホームページによると、コンプリートした人は現在3700名余りいるらしい。名前を見ると、連名が多い。おそらく夫婦で頑張ったのでしょう。だからトータルの人数では4000人は軽く越えていそうだ。
これを制覇した人が燃え尽きないように、更に続100名城というのも用意されている。更に更に、ヨーロッパ100名城ってのもあるらしい。制覇した人は現在のところ一名。桁違いの時間とお金が必要だよね。
皆さん本当に凄いです。

この本にはスタンプ帳もついてるので、来年の九州旅行には一応持っていこう。つか行けるのか?まだまだ先が見えません。他府県ナンバーの車に石を投げる、みたいな状況では怖くて遠出出来ないしね。

そしてデスクが出来た。

まずは天板のニス塗りから。
20cmx60cmの出っ張りの部分以外はほとんど見えないので、適当です。出っ張り部分だけは、60→120→240と三段階で紙ヤスリかけて、角も少しけずって、ニス三度塗り。


01ニス塗り

で、しっかり乾かす。

02乾燥中

たまに晴れ間も見えたんだぜ。
それから、手動ドリルの針が折れるというアクシデントにもめげず、コーススレッドで、モニタをかさ上げする台をとりつける。

03モニタ台とりつけ

そしていよいよ脚の取り付け。説明書も何もないが、迷う事はない。

04脚とりつけ

ひっくり返して。

05after200715.jpg

完成。ちなみに、下がビフォー。

06before200715.jpg


上手く出来たと思ったんだが、脚グラグラやん。あかんやん。これ以上締まらないくらいきつく締めてもだめですわ。

木で丈夫なの作り直す事にします。天板はこのまま使えると思う。

ああ、一日無駄にした。そして、脚代が10000円弱。いたたたた。

アマゾンのレビューかいたろ。脚グラグラやしって。

デスクの脚届く

今月末か来月に届くと思っていた机の脚が届いた。
四本で10000円弱。


スタジオ脚

脚の長さが60cmというのがかなりレアで、ようやく見つけた中国産の脚をポチッとしたのが二週間前くらいかな。ネジ面観るとちょっと歪んでて、完全に直立はしなさそうなところがさすが中国製。

こんな事書いてる自分はもう香港にも行けないと思う。これ以外にも中国の事悪く書いてるし、下手したら捕まって中国の法律で裁かれてしまうかもしれないって事に最近なってしまった。しゃれんならんで。まじ。
今年1月にHSBCの口座をクローズに香港行ったんだけど、ホンマギリギリやった。
周庭ちゃん大丈夫かな。なんやったらうちに住ませてあげてもいいんだけどな。




まそれはともかく脚ですが、ま、立つことは立つと思う。
でもこんなに早く来るとは思わなかったので心の準備が出来てない。天板にニスを塗ろうと思っているのだが、七月豪雨の影響でそれもままならない。

と思ったら、大阪は今日は少しの間雨降らないらしいので、ニス塗り決行しようと思います。

スタジオ机200714

こんな風に出来る予定。足下の赤っぽい台はまた後で考えます。後ろのスチールの脚の間にギターアンプが入る予定で、ギーアン入れてどんだけ出張るかを考えてから作ります。
ピアノのフットペダルもこれに合わせてなんとか固定する予定。



コロナで外出自粛とか色々あるけれど、俺もともと引きこもりやし、スタジオがより快適になって、一日ここで過ごしていてもなんもストレスないわ。

ま、たまに映画とか舞台とか観には行きたいけどね。

スタジオ改装続く

19インチのラックに引出式の棚があったので、その上に、Korg のEMX-1を乗っけたんやけど、これほとんど使わないので、上に蓋をして、簡易テーブルにしてみた。

木でも良かったんですが、奮発してアクリルで。

アクリル台new


こんな感じに仕上がった。
まだボンド乾いてませんが。そして、右手前のへん、髪の毛挟まってます。ボンドで強力に挟まっているので、もう取る事はできないな。
相変わらず詰めが甘い。

でもテーブルはええ感じやと思う。

23年半振りの大改装

この家に住み始めて、23年半余りが経つ。
スタジオにしようと定めた部屋に防音を施して機材を配置する時に最初にした事は、正面にスチールのフレームで多目的棚を作る事だった。

2020スタジオビフォー

正面にある高さ180cm幅180cm奥行き60cmの巨大なフレームがそれである。ここに、キーボードを二台置いて、右上には19インチの機材が積めるようにして、上にモニタースピーカーを配置した。
当初はMacのモニタは右側にあったのだが、4年半ほど前に、モニタ二台を正面において88鍵のキーボードの手前にMac用のキーボードとトラックパッドを置く、というこの写真の配置に落ち着いた。

23年半前に設置したフレームは相も変わらず鎮座しているわけである。
これはこれで、とっても使い勝手が良いレイアウトではあったのだが、我がスタジオには非常に大きな欠点があった。

スピーカーの位置である。

そう。スピーカーは耳の高さで鳴らすものなのである。



昔は、どんどん外部音源を買いまくって、ミキサー三台もカスケードしてって具合で機材があふれかえっていたのだが、時代は外部ハード音源から、ソフトウェア音源へと大きく変わってきた。
この23年半の間に、自分のソフトウェア音源使用率も、0%から70%程度へと変化した。歳を取ってきて、少しでも持ち物を減らしたいという思いが大きくなってきたのと相まって、不要になった音源をガンガン始末しはじめると、
「もっと物は減らせるのではないか」
と考えるようになってきた。

それに伴って、デカい黒いフレームを取っ払って、長年の課題だったスピーカーの位置問題をついに解決できるのではないか。

で、紆余曲折ありまして、その辺は長いから端折るけれど、暫定的にこうなった。

2020スタジオアフター

素晴らしい。
これで、良い仕事が出来るようになればいいんだが、そううまくいくかどうか。
買ってね
2012までのストレッチマン音楽集です。未発表曲もあるでよ。
The Backstreet Shinings
スクエアの劇団内バンド「ザ・バックストリートシャイニングス」のデビューCDです。

満月倶楽部
ハープとアコーディオンのデュオ、「満月倶楽部」もよろしく。レパートリーは60曲に達しました。
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